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    <title>LazyBird Diary</title>
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    <language>ja</language>
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    <category>Weblog</category>
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      <title>LazyBird Diary</title>
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    <item>
 <title>Yの悲劇</title>
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<description><![CDATA[ ワールドカップ一色になって、民主党の国会運営のことなど新聞の紙面から消えてしまった。Wカップは大きすぎて太刀打ちできない。だが手のひらにすっぽり収まるCカップ、Dカップを忘れてはいけない｡店も「閑古鳥の巣の上で」状態だ。<br />
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」をヒットさせたのはBeeGeesであってbusysではない。<br />
I’m not busy.<br />
Yoshidaの悲劇。<br />
先週もミュージシャンがお客さんより多いライブになってしまった。久々の大音量、ロック寄りギタートリオで僕のロック魂に火がついてしまったほど面白いライブであったのだが・・・・<br />
これは余り大きな声ではいえないのだが、サムライジャパンにはそこそこ悔いのない試合をしていただいて、予選リーグで敗退していただいたほうが、零細飲食業にとっては助かると思っていた。「何、おまえはデンマークの肩をもつ国賊か！」と特高がやってきて「築地署で小林多喜二のように徹底的に背後関係を洗ってやる」ということにも為りかねないので口をつぐんでいた｡あるものに熱狂していく時の日本人は同胞とはいえ恐い。<br />
僕がデンマーク戦の試合日を勘違いしているうちに予選リーグを勝ち抜いてしまい、あろうことか、パラグアイ戦がまたライブと重なっている。まずい！何か考えなくてはと思うのだが、「スイング」と染め抜いた鉢巻をしてミュージシャンを応援する以外策が思い浮かばない。29日、山本敏嗣と滝川裕三のギターduo.。本邦初の企画だ。サムライ・ブルー・ボッサとかサムライ・ブルー・イン・グリーン、サムライ・ブルー・ライト横浜とかもやるかもしれません。コルトレーンのMr PKのリクエストにも応えます。<br />
冷えた南アフリカビールもあります。本当に有ります｡お待ちしております。<br />
<br />
店が暇なのをWカップのせいにするのは簡単な事では有るが、危険な事でもある。Jazzの敵はエグザイルだけではない。ファミコンであったり、スポーツで有ったりもするのだ。<br />
僕は身近に興奮できるライブがあるので、Wカップを必ずしも必要としない。勿論サッカーには何の恨みは無いし、大政翼賛会ほどではないが応援だってしている。だが日の丸一色になるのは違和感を覚えるし、変な日に試合が有ってほしくは無い。僕が国賊ではない何よりの証拠は高校時代サッカー部だったことだ。実力は僕のasのレベルよりは上でgの腕よりは下だと思う。まあ、どっちにしろたいしたものではない。全道大会で全国制覇をしたことがある室蘭大谷と戦った事がある。点差はポルトガルと北朝鮮ほどにはひらかなかったが、僕はバックスでクリスマスイブのおもちゃ売り場の販売員のように忙しかった事だけは覚えている。<br />
僕は本当に経営能力が無いので、四年に一度のサッカーだけではなく身近にも興奮できる音楽があることを唱えながら、シーシェパードの妨害を受けながらも愚直にマグロの一本釣りを続けている。<br />
むずかしことを　やさしく。<br />
やさしいことを　ふかく。<br />
ふかいことを　ゆかいに。<br />
ゆかいなことを　まじめに。<br />
<br />
今年無くなった井上ひさしの言葉だが、僕がjazzの事を初心者の方に説明する時の座右の銘にしている。<br />
<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=284</comments>
 <pubDate>Mon, 28 Jun 2010 01:28:49 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>Pale green</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=283</link>
<description><![CDATA[六月十五日｡従業員だった友恵ちゃんの二周忌にあたる｡僕もいい年なので色々な死に向かい合ってきたが、この時はさすがに僕自身、心のバランスを崩しそうになった。それでも何とか持ちこたえて彼女を追悼する側の一人になっている。<br />
友恵ちゃんは所謂「良い子」ではなかった｡我儘な所も有った｡でも一生懸命生きていてお客さんにも愛されていた｡僕自身もその危なかしいところが、気になって実の娘のように可愛がっていた｡彼女と知り合ってから、町で見かける今風のアッパラパーな女の子を見かけても、拒絶反応はなくなった。友恵ちゃんの代わりに僕自身が成長しなければならない。<br />
思い出の品は多くは残っていない。<br />
写真が数枚｡最高の笑顔でピースマークを出している。後ろにはpale greenの海が広がっている。<br />
一対の鍋つかみ。彼女が作ってくれた｡もう焼け焦げてぼろぼろになっているが、捨てられない。<br />
冷凍庫には二年前のレーズンバター。時々手作りのパンやらレーズンバターlazyで売っていた｡とうに賞味期限は切れているが、時々引っ張り出してきて食べている。<br />
<br />
日本がカメルーン相手に戦い終わった頃、僕は彼女のレクイエムとして作った「pale　green」という曲を弾いて店を後にした。<br />
<br />
<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=283</comments>
 <pubDate>Tue, 15 Jun 2010 16:11:49 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>Love letter</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=282</link>
<description><![CDATA[Love letterをもらったがカナダからではないし、女性からでも勿論ない。Lazyの論説委員牛さんからだ。メールではなく、手渡しによってだ。それは白昼堂々となされるヤクの受け渡しのようであった。<br />
二億四十年前、僕は校庭でおかっぱ頭の子に呼び止められた。「Y君、これ読んで」と一通の封書を手渡すと小走りで立ち去った。<br />
僕の手には若草色の封書が残った。<br />
<br />
牛さんからのletterもライブに対する愛情あふれるものであった。<br />
紹介しておく。<br />
<br />
以下、文責牛さん<br />
＜Ｊａｚｚｆｅｓｓの機会は誰に＞<br />
提起されたのは「jazz　fessの機会は誰に与えられるべきか」である。<br />
多数の演奏家が参加する公開演奏をJazz fessと言うとしよう。それ自体は生演奏会の一形態に過ぎないから、機会は不特定多数に与えられている。<br />
ところが、Jazz fessを仕組みとして捉えると、一般ファンが接する音楽祭という表の顔と、『興行』なる舞台裏の世界によって成り立っている。その裏側については、直近のDiary「金のフルート、銀のフルート」の文面から"宣伝、スポンサー、動員目標"などの言葉を拾うことができる。<br />
普通の人々が『興行』を見聞きするのは映画だと思う。例えば、映画の質より興行収入が覇者として君臨するハリウッド映画は、もう壊すものも殺すものもなくなってしまうところまで来てしまった。受けスジは飽きられるまで繰り返されるのだ。安く仕入れて高く売るというだけの職業観は、儲け話以外に微笑み掛けるものを失っているのだろう。<br />
もう一度、Diaryに戻ると、Jazz fessへの参加が興行側からドタキャンしてきたとのことだ。一方的な約束反故にはペンペン草も生えない。だから別の場所に盤渓jazz fessの果実を見出すことにしたのだという。<br />
ささやかにジャズファンであり続ける者は、ハリウッド映画風の消費ジャズには興味がないから、受け狙いのジャズを聴きたいとは決して思わない。メディアでの露出度やＣＤセールスとコンサートの実質とは相関が低いことを経験的に知っているからである。<br />
そして「jazz　fessの機会は誰に与えられるべきか」。平凡な答えしかない。ブッキングしたミュージシャンとよい演奏を望むファンに与えられればよいのだ。勿論、興行師は含まれない。「出演する２グループは最高の演奏をする為に作られている」というのが、その理由である。筆者はいま、アリストテレスになった気分である。<br />
<br />
久し振りの駄洒落(哲学編)<br />
　　アルキメデスの健二（在札有名ドラマー）<br />
イースト・プラトン（井上淑彦氏の名曲）<br />
アルケゴール（競歩）<br />
√　(デカルート)<br />
カント・コンデリ<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=282</comments>
 <pubDate>Wed, 2 Jun 2010 18:41:17 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>金のフルート、銀のフルート</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=280</link>
<description><![CDATA[ 最高のフルートは誰に与えられるべきとアリストテレスは考えるだろうかいう哲学的命題が提示された。ハーバード大でのMサンデル教授での講義での事だ。<br />
最高のフルート奏者にと学生が答えた。ハービーマンにとは答えなかった｡正解だ。なぜかと問われた。<br />
「最高の演奏がなされ、その音楽を聴いてみな幸福感を得る事が出来るから」僕もこう答えると思うが,アリストテレスの答えは違うと言う。<br />
「フルートは最高の演奏をされる為に作られているから」いうのが答えで目的分配論と言う考え方だ｡学生の意見はここから導き出される功利主義的な見解だと言う。<br />
日曜日の夕方,テレビをつけていたらCity Jazzの宣伝が頻繁に流れていた。今年は期間も半月ほどになり、予算も僕が初年度関わった時の倍以上になっている。勿論これは市税で運営されている。大手プロモーターの企画が通常の三倍の価格で落札され、ミュージシャンに値札が貼られ、ある晴れた昼下り,市場に送られて行く。ドナ、ドナ、ドナ・・・ドナリーだ。<br />
「jazz　fesの機会は誰に与えられるべきか」という問にアリストテレスはどう答えるか・・・これが僕の設問だ<br />
city jazzの実行委員に加わっていた年。ジャズフアンは週何回ライブに行くかという話になった。熱心な人でも二回行く人は稀だ。これだけでは二万人が動員目標には程遠い。熱心なジャズフアンだけでは満席にならない。こういう機会にjazzを聴いてみようという人もいるだろうし,この規模になれば地方から観光がてらに訪れる人いるだろう｡ラインナップを見ると僕の知っているミュージシャンもいるが聴いた事も無いメンバーもいっぱいいる。ああ・・こういう人が売れているんだあーと思った。<br />
なぜこういうフェスティバルが成立するのであろうか。<br />
提供者は人々をjazzの持っている「大人の音楽」と言う幻想に寄りかからせ、あるいは逆に子供たちに毒気を抜いて砂糖をまぶしたものをjazzの全体像として提示していく｡賢い消費者は自由主義経済の中で「選択の自由」を持っているというMフリードマンの理論を実践させる。<br />
スポンサーという音楽そのものではなく、そこから派生する何らかの経済効果を期待して強制力が売券にまで及ぶABシュムクラーはその著書「選択という幻想」のなかでフリードマンを批評しつつ,市場システムによって意識の枠がはめられ世界観,人生観が市場のシステムの狭い視野に一層似てきていると指摘する。<br />
手品で客が引いたカードを当てるというものを見た事があるでしょう。本人は自分で選んでいると思っているが,マジシャンの意図したものを選ばされているというものだ。<br />
これは僕も宴会で披露して、奇跡的に成功した事がある。一枚のカードを覚えておき、シャフルする時そのカードの位置だけ記憶しひらく時,そのカードだけちょっとだけ前にしておく。そしてそのカードを無理やり引かせるフォーシングと言う技術だ｡このときカードを引く人間を自分の息のかかった素直な性格の人間を選んでおくと成功率も高くなる。<br />
<br />
繰り返し放映されるコマーシャルによって選択する「賢い消費者」という幻想・・・・<br />
<br />
今年盤渓jazz festivalは開催しないつもりであった。ところがあるスポンサーから依頼があって急遽企画を考えた。当初8/7土曜全日でということであったが、その後8/8日曜,先方の企画の枠内で２グループということになってミュージシャンを押さえた。ところが土壇場になってキャンセルされた｡何の保証も無い｡怒り国家神道だが、こちらのスケジュールに合わせてくれたミュージシャンの誠意に応えるべく、会場を屋内に移し、２グループだけでは有るが盤渓jazz fes特別編という事で8/8に強行する事にした。<br />
田中朋子スペシャルクインテット｡田中朋子,米木康志,臼庭潤,津村和彦、セシル・モンロー<br />
板谷大ノネットwith池田篤<br />
<br />
「jazz　fesの機会は誰に与えられるべきか」<br />
この設問への答えの一例が上記の２グループだ。<br />
アリストテレスは賛成してくれるだろうか。<br />
<br />
<br />
本日の駄洒落<br />
哲学シリーズ<br />
<br />
アリストテレサ・テン<br />
レヴィ＝ストローズ・ロード<br />
去るトルは追わず<br />
大阪のjazz barにて<br />
「おっちゃん、煙草つけっぱなしになってるでー」<br />
「さよでっかー、灰デッカー」<br />
モンデ乳　　（モンテニューと読む｡乳、揉んでではない）<br />
ルイ・ベルクソン（カントとジョー・ジョーンズを批判した）<br />
ホッブス、ステップス、少年ジャンプ<br />
おらん、バルト（把留都、けがで休場）<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=280</comments>
 <pubDate>Mon, 31 May 2010 16:34:14 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>確率</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=279</link>
<description><![CDATA[先日初めてのお客さんがライブに来てくれた。<br />
富良野からわざわざ､それもブログを見てきてくれたらしいlazyのHPに不時着し、僕の日記の泥沼に足をとられたとのことだ。面白かったとお褒めをいただき､過去の分まで全部読んでくれたという。そして店まで足を運んでくれた。<br />
この出会いの確率は石を投げたら日大生にあたる確立よりも低く､石を投げていた日大生の割合よりも高い。<br />
この話が良くわかる同世代の方だ。<br />
自作の駄洒落のメールも頂いたが、これは最後に紹介したい。<br />
話は確率の問題だ<br />
ロッキード事件の年の事で、ピーナツが何億円もする事を知った年､僕の最初の勤務地は、そのピーナツの産地千葉であった。千葉市にはススキノの規模を小さくした栄町という歓楽街があって硬軟取り混ぜた飲食店､風俗店がひしめき合っていた。僕の上司はよく飲みに連れて行ってくれたのだが､最初は居酒屋で一杯、河岸を替えてスナックで呑みなおしというタイプではなかった。一軒目からキャバレーで閉店までそこで呑むというあまりいない人種だった。店の名前は「月世界」。正統派キャバレーであった。正統派と言うのはM・ローチ＆C・ブラウンクインテットのjazzのようなもので、変な仕掛け、色物は無いと言う事である。<br />
正面にバンドスタンドがあって９ピースのバンドが演奏していた。中央にはダンスフロアーがあってその周りを囲むようにボックス席が並んでいる。<br />
僕が始めて連れて行ってもらった時についてくれたホステスさんは「ランさん」と言う伊藤蘭と欧陽菲菲たして二で割ったような女性で縦縞のワンピースをOLでは真似できない着こなしで身につけていた。そのフロントには１５センチほどのスリットが入っていて、足を組替えるとドキッとする瞬間が何度もあった。<br />
上司は僕を札幌からきた新入社員と彼女に紹介してくれたが、僕は何を話していいのかわからず、ビートきよしのよう二人の話にただ頷くだけであった。何せ卒業したてでフリードマンの貨幣理論を説明できる記憶力は残っているが、粋な話など出来る経験など無く、かといってコルトレーンの演奏方法について語るほど阿保でもなかった。<br />
見るもの聞くものが初めての御のぼりさん状態であったが、楽しかった。ボーイさん呼ぶ時にはライターを灯して手を振り、こまいも皮は自分で剥くものではなく、皮も炙って食べさせてくれる。膝と膝が触れる程度の距離ですわり、でも辛うじて体温を感じさせてくれる微妙さ・・・・。閉店時には「そっとおやすみ」か「メリージエーン」が流れ店内は暗転する。最後に踊りましょうかと誘ってくれる。チークダンスを踊る時のしなだれ方がプロだ。M・ローチのプッシュの仕方と一緒で寸分のくるいも無い。<br />
僕は上司が休みのとき一人で行ってランさんを指名した。何か間男を演じているようで妙に緊張したのを覚えている。多分五歳とは離れていないはずなのに、完全に大人の女性だった。僕のことも一人前の大人として扱ってくれた。こういう店の宿命だが、ずっと僕の相手をしてくれるわけではない。他の席からも指名がかかる。そういう場合はヘルプの子が相手をしてくれる。らんさんは「私が知っている子を紹介しますね」といって席を立った。「失礼します」といって隣に座った子は「らんさん」と同じ年ぐらいの花柄のジョーゼットのワンピースを着た素人っぽい子であった。まあ、初対面だと「どちらから・・」という話になる。僕は「札幌から来ました」と答えると、その子は「私、留萌出身なの」と言う。同じ北海道と言う事で、将来の開発局のありかたについて意見を交換したのだと思う。そうこうしているうちに「ランさん」が戻ってきてヘルプの子は他の席に移った。「どうでしたか。話は合いましたか」と聞かれたので、同郷のよしみで盛り上がりましたと報告した。「それは良かったですね」と言ってくれた。<br />
彼女は売れっ子なのだろう・・・、また指名がかかり、先程とは違う子が席についた。同じ質問をされたが、こういう席では名刺交換と同じなので面倒がらずに「今年の春に札幌から来ました」と言うと「ええ・・私は夕張なの」との答えが帰ってきた。いまなら夕張再生の事業仕分けの話で盛り上がれるのに、その時は石炭歴史村の話で繋いでいった。<br />
それにしても一日のうち、千葉のキャバレーで二人者もの北海道出身の女性と出会う確率はどれぐらいなのであろうか。<br />
ライブで密かに願っていたBorn to be blueとBorn to be wildがメドレーで演奏されるようなもので殆どありえない。実際Born to正月は一緒にはやってこない。<br />
その後も、時々一人でも行っていたが、なんとなくこういう場でのルールが判ってきて「ランさん」を指名することは止めた。ヘルプでついたくれた「留萌さん」を指名するようになっていた。ある時彼女から店がはねた後呑みに行かないかと誘われた。所謂アフターというやつだ。Be-Bopだってアフターセッションから生まれた。大事な話はアフターで決まる｡僕の鼓動はチェロキーを叩く時のローチのテンポまで高まった。馴染みの店など有るはずは無い｡上司に連れて行ってもらった鮨屋に行った。幸い上司はいなかった｡好スタートだ。「留萌さん」は一口ビールを口にしてから、間を計るようにグラスのルージュをハンカチで落とすと口を開いた。その時歴史が動くはずであった・・・・。<br />
「ごめんなさい、私嘘を言っていたの・・・、留萌出身ではないの。ランさんから同郷と言う事にしておいた方がいいわよと言われたの・・・」<br />
僕は速球一本に的を絞っていたので予想だにしなかったチェンジアップがきてあえなく見逃しの三振を喫したが甲子園球児のようにすがすがしい気分であった｡プロはやはり違うな・・とも実戦は役に立つとも思った。たぶん「夕張さん」も違うのだろう。<br />
千葉市から住んでいた市原市まで産業道路と呼ばれていた国道の沿道には重化学工業の工場が林立していて、その会社の社宅やら寮が市原には多く見られた。たぶん全国から日本経済を支える為に集まってきた企業戦士たちが故郷を思い出すつかの間を「留萌さん」や「夕張さん」や「博多さん」などに面倒を見てもらっているのであろう。<br />
確率が変だと思う時には裏がある。<br />
裏が無いのはウエストコーストjazzのビート感。<br />
浦賀なくてはペリーが困る。<br />
<br />
本日の駄洒落<br />
北の国からの投稿・・・・富良野在住O島さん作品集<br />
副題・・・冷蔵庫を開けてみると<br />
エノッキ・ドルフィー<br />
ホウレンソウ・シルバー<br />
セロリアス・モンク<br />
ニラ・ジョーンズ<br />
ハーピー・マン<br />
キャベツボール・アダレィ<br />
<br />
主宰からの返歌<br />
納豆、食ったのは、誰？<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=279</comments>
 <pubDate>Mon, 17 May 2010 21:24:39 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>アンソポロジゥム</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=278</link>
<description><![CDATA[母の日だった。<br />
鉢植えの花を買って実家に行った。<br />
真っ赤な花びらに白いめしべがサーベルのように突起したアマゾンの熱帯雨林に棲息していそうな余り見かけない品種だった。母親は園芸が趣味で花には詳しい。勿論一輪のカーネーションでも喜んでくれるだが、ついつい受けを狙って変わったものを買ってしまうのはレコードコレクター時代の悪い癖だ。母親だってソニー・ロリンズが好きなのに無理やりサム・テイラーのレア物のギリギリjazzのようなレコードを聴かされていると思ったかもしれないが<br />
「へエー､珍しい花だねえ・・・・」と喜んでくれた。<br />
「なんと言う名前」<br />
まずい。花屋を出る時には覚えていたのだが､世間話をしているうちに忘れてしまった。花の名はニゥムで終わるものが多い。この花も確かそうだった。それにアで始まる事は覚えている。嘘も方便。<br />
「確かアンソポロジゥムだと思ったけれど､今度来る時まで調べておくから・・・」とお茶を濁した。<br />
「アンソポロジゥムねえー・・」「パーカーの曲に似ているんだねー」とは言われなかった。<br />
前日常連のN名が大きな荷物を持ってlazyに来た。「何か買ってもらったの」と聞くと｢明日母の日だから・・・｣良かった聞いて。ちょっと前までは覚えていたのに･･･危ない危ない。<br />
実際、実家に行くと何か祝ってもらいたかったのだろう・・・自分で寿司の出前を頼んでいた。テレビをつけるとお笑い番組で芸能人親子替え歌コーナー｢母の日特集｣なんてやっている。手ぶらで行ったら、かなり肩身の狭い思いをしただろう。<br />
取り合えずN名とパーカーに感謝！<br />
<br />
本日の駄洒落<br />
母の日特集<br />
「お米さん婆　」(母の名前は米子と言う)<br />
「三度、奄美　」　二度､上空を通った事があるが､まだ降り立った事はない。<br />
「リイン・カーネーション・オブ・ラブ・バード」ミンガスがパーカーに捧げた曲<br />
｢コブクロサンよ、コブクロサン、空をみあげりゃ､空にある」<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=278</comments>
 <pubDate>Mon, 10 May 2010 16:20:54 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>趣味</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=275</link>
<description><![CDATA[趣味は何かと問われたらベン・ベンジョンソン、新卒の履歴書でなくとも音楽鑑賞と旅行と読書とは答えにくい。<br />
僕はプロの音楽家ではないので音楽は半分趣味ではあるが,普段レコードはかけたり,ライブを提供したり,音楽をつまみにして酒を飲んでもらったりしているので半分は飯の種にもなっているからだ｡旅行は暇も金も無いので一年に一度が限界。読書は趣味だと意識した事は無い。衣食住､読・・・・・。生活の最低基盤になっているからだ。長年連れ添った奥さんを女と意識しない事に似ているかもしれない。<br />
そうすると僕には趣味がなくなってしまうといえばそうではない。<br />
将棋がある。<br />
NHKで爆笑問題が羽生名人にインタビューする番組を見た｡羽生は「何かを知っているという事はそれを避ける事も出来るができる」と発言していた。　<br />
同じセリフを1Q84vol3の中で村上春樹が作中人物のタマルに言わせている。誰もが思う疑問「羽生は何故あれほどに強いのか」まずミスが少ない。逆に相手がミスをした時はそれを見逃さない。イチローのような一流アスリートにも共通しているし､全半の半分だけは一流のミュージシャンにも当てはまる｡将棋で、ある互角の局面があるとする。そこから指せば強い方が勝つ。だがプロ同士ではある結論が出ていて先手良しの局面からは後手をもっては勝てなくなる。そうするとその局面は実戦では出なくなり､その戦法は廃れていく。羽生は相手が注文してきた戦法はほとんど受けて立つ｡まさしく横綱相撲だ。これはなかなか出来る事では無い｡多少なりとも勝てる確率が減るからだ。<br />
「羽生の頭脳」という全10巻の現代将棋の定石の本がある。定番戦法の中盤での良く出てくる局面までの変化､そしてその局面の有利、不利を丁寧に解説している。僕の棋力では判断がつかない局面がたくさんある。そもそもアマチユアは得意な戦法が一つ､二つあれば良いのだ。良い直球とカーブがあれば甲子園までいける高校野球のように・・・・。<br />
羽生の指し手で序盤、中盤では奇抜な手は無い。「まあ、そういう手もあるでしょう」という様なレベルだったりする。ところが終盤のギリギリになってその手が利いてくる事になったりするのだ。「今度隣に引っ越してきた・・です」と菓子折りを持って挨拶にきたメグ・ライアン風の子が殺人鬼だとは誰も思わないものだ。<br />
爆笑問題の太田も言っていたが､羽生もイチローと同様日々の研鑚の中でボール半個のズレを感じ取れるようになっていったのだと思う。先日あった池田篤の３daysライブにも同質なものを感じた。<br />
そしてその普通の積み重ねの延長線上に天才たちもいるという事実を平凡な人は認めたがらない。何か違う人種で有ってくれた方が気が楽だからだ。「まあ、この程度でという」落とし所を見つけてそれぞれの趣味を楽しんでいる。<br />
僕は現在ほとんど指されなくなった相横歩取り､四五角戦法が好きだ。最も激しい戦法でレニングラードの攻防のようにいたる所に地雷､狙撃兵がいる戦いだ。アマチュアの間では人気の無い戦法で一手間違えば速負けにつながる。全財産を競馬につぎ込むようなスリリングさだ。僕自身も実戦では一局も指した事が無い。テレビ将棋ではこういう派手な戦いを見るのが好きだ。映画ではブルース・ウィルスがでてきて何でも爆破してしまうたぐいの映画は好きではないが､将棋は別だ。生活がかかっていない趣味だからだ。<br />
<br />
本日の駄洒落<br />
羽生名人に捧ぐ<br />
Have you met miss マングース<br />
]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=275</comments>
 <pubDate>Wed, 5 May 2010 22:38:55 +0900</pubDate>
</item><item>
 <title>マーク・マーフィーの法則</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=274</link>
<description><![CDATA[ 先週最初のお客さんはマークだった。<br />
完璧な開店準備をして帝国ホテルのドアーボーイ如く凛としてお客さんを待っていても全く暇だった月曜日から風邪で体調が悪く早仕舞いする予定で行くと客足が途絶えなかった土曜日まで､こちらの思惑とは全く関係なく事は進んでいく。<br />
東京物語のようにひっそりと始まった映画がマルクス兄弟のドタバタ喜劇で終わったような一週間であった。<br />
傘を持っていくと雨は降らず、持っていない日に限ってどしゃ降りになる。<br />
それは金持には融資を勧めるが資金難に喘ぐ中小企業には豚の貯金箱の中身まで確認して貸しはがしにかかる冷酷な金融会社に似ている。<br />
神は仏教徒の僕にも試練を与える。<br />
<br />
先週はライブを二本やり､小説を四冊読み､いくつかの実務をこなし、四人とjazz幼稚園の練習をやりその合間に歯医者に一回､実家に二回,国会は散会、死海の近くで生産されるクロレラは健康にいいという誤解・・・・・<br />
鈴木のアルトのように小回りの効いた一週間では有った。<br />
一本目のライブは高橋知己quartet。奇をてらうことなくtsを吹ききる姿にはjazzの王道を感じた。デビューしたての頃の高橋知己を聴いたことがある。新宿pit innの昼の部だった。30年以上前の事になるが,恐ろしい形相でネイマを吹いていた。ドアーを開けたときの熱気は今でも忘れられない。僕もある種のやりきれなさを熱狂的なjazzを聴く事によって昇華させていた時期だ。高橋知己はもっと深い表現力を身につけ、僕もそういうことがわかる年になった。<br />
もう一本のライブはmojo house。ブルース系シンガ-ソンググライターの二人組。以前相方のバイオリンが良かったのでお願いした。グループ名がもう筋金入りだ。シャブの為なら女房も殺す人種がつけるグループ名だ。最近はブルースの原曲をやることは無くなったらしいがオリジナル曲の根底に流れるのはやはりデルタブルースだと思った。飾り気のない言葉で生活観を歌う｡お洒落なセリフは出てこない。放送禁止用語は時々出てくる。所謂日雇人夫系の歌だったが面白かった｡二人ともギターを小手先で弾いていない。心に届く音を体で弾いていた。打ち上げでお客さんが持ってきたサイレントヴァイオリンを色々なエフエクターで弾いてくれた。ブルース系のミュージシャンでハンガリアン舞曲第５番を弾ける人は余りいない｡ひょっとするとブリジストン財閥の血を引いているのかもしれない。<br />
小説四冊には訳がある。村上春樹の１９８４vol3を買いに行った｡どこの本屋も品切れだ。こちらは日本語絶ちして一気に読む気満々だったので、勝負下着を身につけて出かけたデイトをすっぽかされたOLのように後に引けなくなっている。ええい！男なら誰でもいい。ということでエンターテイメント系ベストセラーを三冊買ってしまった。確かにこういう本は一気に読めますね｡その後１９８４が某書店に平積みになっているとのメールを貰い慌てて買いに行ったのは言うまでも無い。それが4冊目｡週末、酒と風邪薬の相乗効果で半分ラリっているような体調で読む１９８４はポップでシュールでデイープだった。<br />
<br />
今週のこぼれ話<br />
スーパーに買い物に行った時の話だ｡僕は味噌を探していた｡後ろはカレーのコーナーだった。年配の男性がメモを見ながらカレールーを探していた。「グリコの二段熟カレー」、グリコの二段熟カレー」とマントラを唱えながら商品を探していた。なかなか見つからないらしい。そこに女性従業員が通りかかった。その男性は聞いた。「すいません、グリコの二段熟女カレーはどこにありますか」その女性の表情が一瞬曇ったが、「こちらにございます」と案内し息を吐いて腹をへこませてバックヤードに向かった。聞いた人が悪かった。三段腹の熟女だった。<br />
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 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=274</comments>
 <pubDate>Tue, 27 Apr 2010 03:12:54 +0900</pubDate>
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 <title>Picky eater</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=273</link>
<description><![CDATA[好き嫌いの有る人の事をこう呼ぶ。そして大概の人は好き嫌いがある。食べ物から酒､野球チーム､音楽まで何かのきっかけで得た嗜好、趣味と言う名のもとで消費されていく。その嗜好にあわせるべく、あるいはその嗜好が過去のものであると消費者に思わせるべく､ネクタイの幅は変えられ、スカートの丈も替えられ、ポテトチップスもコンソメ味に変えられ経済は成長していく。 <br />
音楽も例外ではない。J-popがフランス料理でjazzがくさやだとする。僕の生業はくさや専門店というぐあいに分類される。子供の頃からくさやが好きな人はまずいない。僕も例外ではない。ということは人の趣味は変わる、あるいは広くなると言う事だと思う。僕はフランス料理好きの人にくさやを食べてもらうべく、日々lazyでくさやを焼き続けている。<br />
問題はもう一つある。不味いくさやは見せかけのフランス料理に負けてしまう。美味いくさやを提供しなければならない。くさやたるミュージシャンにも気がついた事は率直に言うようにしている。意見がぴったり一致する事を期待いている訳ではない。「うまい、くさや」に世界共通認識など有るはずは無い。一聴き手の僕はどういう感想を持っても良く、ミュージシャンは批評の荒野にさらされる。そこに一点でも接点があればよい。間抜けな意見は葬りさられるのだ。そういったblue in greenの緊張関係のような中で僕はミュージシャンと付き合いたいと思っている。またそういう微妙な打ち上げの席でユーモアのセンスを持ってネゴシエイターの役割を担ってくれる牛さんのようなリスナーが一人でも増えてくれる事を祈って今日も僕はくさやを焼いている。<br />
ここでよくある誤解について説明したい。（僕が人の意見を認めない）と言う伝説だ。僕は先にも述べたように聴き手はどのような印象をもってもいいと思っているし､それに対して僕がどうこう言える立場には無い。例えば「ビル・エバンスはフアンキーだ」とその人が言ったとする。僕はエバンスの全レコードを聴いている訳ではないので何を聴いてそう思ったか聞きたくなる。それが「ワルツフオーデビィ」だったとする。余計わからなくなる。この人はファンキーという言葉をどういう意味で使っているか聞きたくなる。そういう質問を二三すると「そう思ったのだからいいじゃない」と小学生の様に駄々をこねるケース。こういう行為は恥ずかしいから止めた方がいいといっているだけで印象そのものを否定しているわけではない。あとは説明した日本語の中に明らかに論理矛盾があるときこれは国会答弁と一緒で突っ込まれても致し方ない。意見以前の問題なのだから。<br />
大体全ての事柄に対して意見を持っているほうが特殊ではないか。以前英語のデベイトで「バンジージャンプの是非を問う」という設問を設定されたことがあった。全くしゃべれなかった。英語が出てこなかったと言う意味ではなく、そんな事考えた事が無かったからだ。<br />
普段考えてない事に人を説得するに足る論理は宿らない。<br />
<br />
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 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=273</comments>
 <pubDate>Mon, 12 Apr 2010 00:39:45 +0900</pubDate>
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 <title>オードリー</title>
 <link>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=272</link>
<description><![CDATA[勿論ピンクのベストを着たお笑い芸人の事ではない。<br />
女優オードリー・ヘップバーンの事だ。<br />
店から帰って眠くなるまで何でもいいと思って手にしたビデオが「ティファニーで朝食を」だった。僕はオードリーが大好きだ。｢ローマの休日｣は何度見てもいい年をして切なくなる。理容室で髪をばっさり切って､鏡に映った自分の容姿を見る時のしぐさは天使の生まれ変わりとしか言い様が無いし､最後に宮殿に戻るシーン。「絶対に振り返らないで」と鶴の恩返しと同じセリフ残し､走り去る時､公務に戻る決意をして逆の意味で馬車がカボチャに戻る瞬間を覚悟する時の芯の通った役こそ似合う女優だ。<br />
「おしやれ泥棒」「シャレード」のようなラブコメディ・サスペンスも許そう。だがオードリーが似合わない唯一の役柄が遊び人あるいは娼婦役だ。滲み出てくる高貴なものが違和感を与える。そういう意味で「ティファニーで朝食を」は今でも苦手だ。<br />
タクシーでストッキングをはきかえるシーンがある。フロントシートに足を投げ出し､隣にいる男の事など感知せずと言うような装いで着替えるのだがオードリーに似つかわしくない事はなはだしい。ロリンズにモードの曲が似合わないのと同質のような気がした。僕はストッキングを脱ぐシーンにはうるさい。こういうシーンはマリリン･モンローかエリザベス・テイラーに任せた方がいい。<br />
だいたいこの映画､原作と全く違う。まずエンディング。オードリー扮する「ホリー・ゴライトリー」が同じアパートの住人の無名作家と結ばれてしまうと言うご都合主義。その作家には原作には全く出てこない女デザイナーのパトロンが付いていて恋の鞘当ゲーム仕立てになっている。ホリーの名刺には（ホリー・ゴライトリー、旅行中！）とかかれている。いつも自由奔放で思いついたとき思いついた場所に行かなくてはならない女性だ。簡単に結婚などしてもらっては困るし､そういう役をオードリーにやらせてもらっては困る。<br />
この映画の主題歌は「ムーンリバー」は映画を見ない人でも知っているかもしれない。ホリーがギターを爪弾きながら歌うシーンがある。あたりまえの話だが小説にはこんな歌はどこにも出てこない。ただホリーが歌うところは一ヶ所有る。<br />
Don’t wana sleep<br />
Don’t wana die<br />
Just wana go a travelin<br />
Through the pasuture of the sky<br />
旅する放浪者をイメージする歌になっている。<br />
主題歌の方もジョニー・マーサの詞が夢を追い求めるハックルベリー・フィンの冒険を思わせる内容にはなっている。<br />
訳詞　前略<br />
同じ虹の果てを求めている<br />
私のハックルベリー・フィンのような友<br />
ムーンリバーと私は<br />
<br />
この映画の一番の功罪は自由への願望のイメージとしての「ティファニーでの朝食」を実際にティファニーの前でパンとコーヒーをオードリーに食べさせてしまう演出だ。それでもこの映画はヒットして､実際あった話だが日本の農協の団体旅行でティファニーで納豆定食でも食べようと大挙して押し寄せたと言う事だ。<br />
この映画が好きになれないもう一つの理由はホリーと同じアパートに住む日本人が欧米人が日本人を茶化す時の典型になっている事だ。メガネの小太りの出つ歯のおっちょこちょいのカメラマン・・・・・<br />
ずいぶん前になるがタイのリゾートホテルでスタッフからショウでコントをやるから出て貰えないかと打診された。どんな役かと聞くとメガネをかけた何でも写真をとる日本人観光客の役であった。丁重にお断りしたのは言うまでも無い。<br />
<br />
本日駄洒落<br />
オードリー・ヘップバーンに捧ぐ<br />
｢老婆の休日」<br />
｢洒落にならんどー」<br />
｢おしめ泥棒」<br />
｢黒くなるまで待って｣日本人jazzmanの悩み<br />
「うるめいわしのさぼりな！」]]></description>
 <category>General</category>
<comments>http://lazybird-groovy.com/nc/?itemid=272</comments>
 <pubDate>Mon, 5 Apr 2010 18:57:14 +0900</pubDate>
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