金のフルート、銀のフルート
最高のフルートは誰に与えられるべきとアリストテレスは考えるだろうかいう哲学的命題が提示された。ハーバード大でのMサンデル教授での講義での事だ。
最高のフルート奏者にと学生が答えた。ハービーマンにとは答えなかった。正解だ。なぜかと問われた。
「最高の演奏がなされ、その音楽を聴いてみな幸福感を得る事が出来るから」僕もこう答えると思うが,アリストテレスの答えは違うと言う。
「フルートは最高の演奏をされる為に作られているから」いうのが答えで目的分配論と言う考え方だ。学生の意見はここから導き出される功利主義的な見解だと言う。
日曜日の夕方,テレビをつけていたらCity Jazzの宣伝が頻繁に流れていた。今年は期間も半月ほどになり、予算も僕が初年度関わった時の倍以上になっている。勿論これは市税で運営されている。大手プロモーターの企画が通常の三倍の価格で落札され、ミュージシャンに値札が貼られ、ある晴れた昼下り,市場に送られて行く。ドナ、ドナ、ドナ・・・ドナリーだ。
「jazz fesの機会は誰に与えられるべきか」という問にアリストテレスはどう答えるか・・・これが僕の設問だ
city jazzの実行委員に加わっていた年。ジャズフアンは週何回ライブに行くかという話になった。熱心な人でも二回行く人は稀だ。これだけでは二万人が動員目標には程遠い。熱心なジャズフアンだけでは満席にならない。こういう機会にjazzを聴いてみようという人もいるだろうし,この規模になれば地方から観光がてらに訪れる人いるだろう。ラインナップを見ると僕の知っているミュージシャンもいるが聴いた事も無いメンバーもいっぱいいる。ああ・・こういう人が売れているんだあーと思った。
なぜこういうフェスティバルが成立するのであろうか。
提供者は人々をjazzの持っている「大人の音楽」と言う幻想に寄りかからせ、あるいは逆に子供たちに毒気を抜いて砂糖をまぶしたものをjazzの全体像として提示していく。賢い消費者は自由主義経済の中で「選択の自由」を持っているというMフリードマンの理論を実践させる。
スポンサーという音楽そのものではなく、そこから派生する何らかの経済効果を期待して強制力が売券にまで及ぶABシュムクラーはその著書「選択という幻想」のなかでフリードマンを批評しつつ,市場システムによって意識の枠がはめられ世界観,人生観が市場のシステムの狭い視野に一層似てきていると指摘する。
手品で客が引いたカードを当てるというものを見た事があるでしょう。本人は自分で選んでいると思っているが,マジシャンの意図したものを選ばされているというものだ。
これは僕も宴会で披露して、奇跡的に成功した事がある。一枚のカードを覚えておき、シャフルする時そのカードの位置だけ記憶しひらく時,そのカードだけちょっとだけ前にしておく。そしてそのカードを無理やり引かせるフォーシングと言う技術だ。このときカードを引く人間を自分の息のかかった素直な性格の人間を選んでおくと成功率も高くなる。
繰り返し放映されるコマーシャルによって選択する「賢い消費者」という幻想・・・・
今年盤渓jazz festivalは開催しないつもりであった。ところがあるスポンサーから依頼があって急遽企画を考えた。当初8/7土曜全日でということであったが、その後8/8日曜,先方の企画の枠内で2グループということになってミュージシャンを押さえた。ところが土壇場になってキャンセルされた。何の保証も無い。怒り国家神道だが、こちらのスケジュールに合わせてくれたミュージシャンの誠意に応えるべく、会場を屋内に移し、2グループだけでは有るが盤渓jazz fes特別編という事で8/8に強行する事にした。
田中朋子スペシャルクインテット。田中朋子,米木康志,臼庭潤,津村和彦、セシル・モンロー
板谷大ノネットwith池田篤
「jazz fesの機会は誰に与えられるべきか」
この設問への答えの一例が上記の2グループだ。
アリストテレスは賛成してくれるだろうか。
本日の駄洒落
哲学シリーズ
アリストテレサ・テン
レヴィ=ストローズ・ロード
去るトルは追わず
大阪のjazz barにて
「おっちゃん、煙草つけっぱなしになってるでー」
「さよでっかー、灰デッカー」
モンデ乳 (モンテニューと読む。乳、揉んでではない)
ルイ・ベルクソン(カントとジョー・ジョーンズを批判した)
ホッブス、ステップス、少年ジャンプ
おらん、バルト(把留都、けがで休場)
31 May, 2010 | yoshida