確率
先日初めてのお客さんがライブに来てくれた。
富良野からわざわざ、それもブログを見てきてくれたらしいlazyのHPに不時着し、僕の日記の泥沼に足をとられたとのことだ。面白かったとお褒めをいただき、過去の分まで全部読んでくれたという。そして店まで足を運んでくれた。
この出会いの確率は石を投げたら日大生にあたる確立よりも低く、石を投げていた日大生の割合よりも高い。
この話が良くわかる同世代の方だ。
自作の駄洒落のメールも頂いたが、これは最後に紹介したい。
話は確率の問題だ
ロッキード事件の年の事で、ピーナツが何億円もする事を知った年、僕の最初の勤務地は、そのピーナツの産地千葉であった。千葉市にはススキノの規模を小さくした栄町という歓楽街があって硬軟取り混ぜた飲食店、風俗店がひしめき合っていた。僕の上司はよく飲みに連れて行ってくれたのだが、最初は居酒屋で一杯、河岸を替えてスナックで呑みなおしというタイプではなかった。一軒目からキャバレーで閉店までそこで呑むというあまりいない人種だった。店の名前は「月世界」。正統派キャバレーであった。正統派と言うのはM・ローチ&C・ブラウンクインテットのjazzのようなもので、変な仕掛け、色物は無いと言う事である。
正面にバンドスタンドがあって9ピースのバンドが演奏していた。中央にはダンスフロアーがあってその周りを囲むようにボックス席が並んでいる。
僕が始めて連れて行ってもらった時についてくれたホステスさんは「ランさん」と言う伊藤蘭と欧陽菲菲たして二で割ったような女性で縦縞のワンピースをOLでは真似できない着こなしで身につけていた。そのフロントには15センチほどのスリットが入っていて、足を組替えるとドキッとする瞬間が何度もあった。
上司は僕を札幌からきた新入社員と彼女に紹介してくれたが、僕は何を話していいのかわからず、ビートきよしのよう二人の話にただ頷くだけであった。何せ卒業したてでフリードマンの貨幣理論を説明できる記憶力は残っているが、粋な話など出来る経験など無く、かといってコルトレーンの演奏方法について語るほど阿保でもなかった。
見るもの聞くものが初めての御のぼりさん状態であったが、楽しかった。ボーイさん呼ぶ時にはライターを灯して手を振り、こまいも皮は自分で剥くものではなく、皮も炙って食べさせてくれる。膝と膝が触れる程度の距離ですわり、でも辛うじて体温を感じさせてくれる微妙さ・・・・。閉店時には「そっとおやすみ」か「メリージエーン」が流れ店内は暗転する。最後に踊りましょうかと誘ってくれる。チークダンスを踊る時のしなだれ方がプロだ。M・ローチのプッシュの仕方と一緒で寸分のくるいも無い。
僕は上司が休みのとき一人で行ってランさんを指名した。何か間男を演じているようで妙に緊張したのを覚えている。多分五歳とは離れていないはずなのに、完全に大人の女性だった。僕のことも一人前の大人として扱ってくれた。こういう店の宿命だが、ずっと僕の相手をしてくれるわけではない。他の席からも指名がかかる。そういう場合はヘルプの子が相手をしてくれる。らんさんは「私が知っている子を紹介しますね」といって席を立った。「失礼します」といって隣に座った子は「らんさん」と同じ年ぐらいの花柄のジョーゼットのワンピースを着た素人っぽい子であった。まあ、初対面だと「どちらから・・」という話になる。僕は「札幌から来ました」と答えると、その子は「私、留萌出身なの」と言う。同じ北海道と言う事で、将来の開発局のありかたについて意見を交換したのだと思う。そうこうしているうちに「ランさん」が戻ってきてヘルプの子は他の席に移った。「どうでしたか。話は合いましたか」と聞かれたので、同郷のよしみで盛り上がりましたと報告した。「それは良かったですね」と言ってくれた。
彼女は売れっ子なのだろう・・・、また指名がかかり、先程とは違う子が席についた。同じ質問をされたが、こういう席では名刺交換と同じなので面倒がらずに「今年の春に札幌から来ました」と言うと「ええ・・私は夕張なの」との答えが帰ってきた。いまなら夕張再生の事業仕分けの話で盛り上がれるのに、その時は石炭歴史村の話で繋いでいった。
それにしても一日のうち、千葉のキャバレーで二人者もの北海道出身の女性と出会う確率はどれぐらいなのであろうか。
ライブで密かに願っていたBorn to be blueとBorn to be wildがメドレーで演奏されるようなもので殆どありえない。実際Born to正月は一緒にはやってこない。
その後も、時々一人でも行っていたが、なんとなくこういう場でのルールが判ってきて「ランさん」を指名することは止めた。ヘルプでついたくれた「留萌さん」を指名するようになっていた。ある時彼女から店がはねた後呑みに行かないかと誘われた。所謂アフターというやつだ。Be-Bopだってアフターセッションから生まれた。大事な話はアフターで決まる。僕の鼓動はチェロキーを叩く時のローチのテンポまで高まった。馴染みの店など有るはずは無い。上司に連れて行ってもらった鮨屋に行った。幸い上司はいなかった。好スタートだ。「留萌さん」は一口ビールを口にしてから、間を計るようにグラスのルージュをハンカチで落とすと口を開いた。その時歴史が動くはずであった・・・・。
「ごめんなさい、私嘘を言っていたの・・・、留萌出身ではないの。ランさんから同郷と言う事にしておいた方がいいわよと言われたの・・・」
僕は速球一本に的を絞っていたので予想だにしなかったチェンジアップがきてあえなく見逃しの三振を喫したが甲子園球児のようにすがすがしい気分であった。プロはやはり違うな・・とも実戦は役に立つとも思った。たぶん「夕張さん」も違うのだろう。
千葉市から住んでいた市原市まで産業道路と呼ばれていた国道の沿道には重化学工業の工場が林立していて、その会社の社宅やら寮が市原には多く見られた。たぶん全国から日本経済を支える為に集まってきた企業戦士たちが故郷を思い出すつかの間を「留萌さん」や「夕張さん」や「博多さん」などに面倒を見てもらっているのであろう。
確率が変だと思う時には裏がある。
裏が無いのはウエストコーストjazzのビート感。
浦賀なくてはペリーが困る。
本日の駄洒落
北の国からの投稿・・・・富良野在住O島さん作品集
副題・・・冷蔵庫を開けてみると
エノッキ・ドルフィー
ホウレンソウ・シルバー
セロリアス・モンク
ニラ・ジョーンズ
ハーピー・マン
キャベツボール・アダレィ
主宰からの返歌
納豆、食ったのは、誰?
17 May, 2010 | yoshida