ワールドカップ一色になって、民主党の国会運営のことなど新聞の紙面から消えてしまった。Wカップは大きすぎて太刀打ちできない。だが手のひらにすっぽり収まるCカップ、Dカップを忘れてはいけない。店も「閑古鳥の巣の上で」状態だ。
「ニューヨーク炭鉱の悲劇」をヒットさせたのはBeeGeesであってbusysではない。
I’m not busy.
Yoshidaの悲劇。
先週もミュージシャンがお客さんより多いライブになってしまった。久々の大音量、ロック寄りギタートリオで僕のロック魂に火がついてしまったほど面白いライブであったのだが・・・・
これは余り大きな声ではいえないのだが、サムライジャパンにはそこそこ悔いのない試合をしていただいて、予選リーグで敗退していただいたほうが、零細飲食業にとっては助かると思っていた。「何、おまえはデンマークの肩をもつ国賊か!」と特高がやってきて「築地署で小林多喜二のように徹底的に背後関係を洗ってやる」ということにも為りかねないので口をつぐんでいた。あるものに熱狂していく時の日本人は同胞とはいえ恐い。
僕がデンマーク戦の試合日を勘違いしているうちに予選リーグを勝ち抜いてしまい、あろうことか、パラグアイ戦がまたライブと重なっている。まずい!何か考えなくてはと思うのだが、「スイング」と染め抜いた鉢巻をしてミュージシャンを応援する以外策が思い浮かばない。29日、山本敏嗣と滝川裕三のギターduo.。本邦初の企画だ。サムライ・ブルー・ボッサとかサムライ・ブルー・イン・グリーン、サムライ・ブルー・ライト横浜とかもやるかもしれません。コルトレーンのMr PKのリクエストにも応えます。
冷えた南アフリカビールもあります。本当に有ります。お待ちしております。
店が暇なのをWカップのせいにするのは簡単な事では有るが、危険な事でもある。Jazzの敵はエグザイルだけではない。ファミコンであったり、スポーツで有ったりもするのだ。
僕は身近に興奮できるライブがあるので、Wカップを必ずしも必要としない。勿論サッカーには何の恨みは無いし、大政翼賛会ほどではないが応援だってしている。だが日の丸一色になるのは違和感を覚えるし、変な日に試合が有ってほしくは無い。僕が国賊ではない何よりの証拠は高校時代サッカー部だったことだ。実力は僕のasのレベルよりは上でgの腕よりは下だと思う。まあ、どっちにしろたいしたものではない。全道大会で全国制覇をしたことがある室蘭大谷と戦った事がある。点差はポルトガルと北朝鮮ほどにはひらかなかったが、僕はバックスでクリスマスイブのおもちゃ売り場の販売員のように忙しかった事だけは覚えている。
僕は本当に経営能力が無いので、四年に一度のサッカーだけではなく身近にも興奮できる音楽があることを唱えながら、シーシェパードの妨害を受けながらも愚直にマグロの一本釣りを続けている。
むずかしことを やさしく。
やさしいことを ふかく。
ふかいことを ゆかいに。
ゆかいなことを まじめに。
今年無くなった井上ひさしの言葉だが、僕がjazzの事を初心者の方に説明する時の座右の銘にしている。
6月28日, 2010年 | yoshida |
六月十五日。従業員だった友恵ちゃんの二周忌にあたる。僕もいい年なので色々な死に向かい合ってきたが、この時はさすがに僕自身、心のバランスを崩しそうになった。それでも何とか持ちこたえて彼女を追悼する側の一人になっている。
友恵ちゃんは所謂「良い子」ではなかった。我儘な所も有った。でも一生懸命生きていてお客さんにも愛されていた。僕自身もその危なかしいところが、気になって実の娘のように可愛がっていた。彼女と知り合ってから、町で見かける今風のアッパラパーな女の子を見かけても、拒絶反応はなくなった。友恵ちゃんの代わりに僕自身が成長しなければならない。
思い出の品は多くは残っていない。
写真が数枚。最高の笑顔でピースマークを出している。後ろにはpale greenの海が広がっている。
一対の鍋つかみ。彼女が作ってくれた。もう焼け焦げてぼろぼろになっているが、捨てられない。
冷凍庫には二年前のレーズンバター。時々手作りのパンやらレーズンバターlazyで売っていた。とうに賞味期限は切れているが、時々引っ張り出してきて食べている。
日本がカメルーン相手に戦い終わった頃、僕は彼女のレクイエムとして作った「pale green」という曲を弾いて店を後にした。
6月15日, 2010年 | yoshida |
Love letterをもらったがカナダからではないし、女性からでも勿論ない。Lazyの論説委員牛さんからだ。メールではなく、手渡しによってだ。それは白昼堂々となされるヤクの受け渡しのようであった。
二億四十年前、僕は校庭でおかっぱ頭の子に呼び止められた。「Y君、これ読んで」と一通の封書を手渡すと小走りで立ち去った。
僕の手には若草色の封書が残った。
牛さんからのletterもライブに対する愛情あふれるものであった。
紹介しておく。
以下、文責牛さん
<Jazzfessの機会は誰に>
提起されたのは「jazz fessの機会は誰に与えられるべきか」である。
多数の演奏家が参加する公開演奏をJazz fessと言うとしよう。それ自体は生演奏会の一形態に過ぎないから、機会は不特定多数に与えられている。
ところが、Jazz fessを仕組みとして捉えると、一般ファンが接する音楽祭という表の顔と、『興行』なる舞台裏の世界によって成り立っている。その裏側については、直近のDiary「金のフルート、銀のフルート」の文面から"宣伝、スポンサー、動員目標"などの言葉を拾うことができる。
普通の人々が『興行』を見聞きするのは映画だと思う。例えば、映画の質より興行収入が覇者として君臨するハリウッド映画は、もう壊すものも殺すものもなくなってしまうところまで来てしまった。受けスジは飽きられるまで繰り返されるのだ。安く仕入れて高く売るというだけの職業観は、儲け話以外に微笑み掛けるものを失っているのだろう。
もう一度、Diaryに戻ると、Jazz fessへの参加が興行側からドタキャンしてきたとのことだ。一方的な約束反故にはペンペン草も生えない。だから別の場所に盤渓jazz fessの果実を見出すことにしたのだという。
ささやかにジャズファンであり続ける者は、ハリウッド映画風の消費ジャズには興味がないから、受け狙いのジャズを聴きたいとは決して思わない。メディアでの露出度やCDセールスとコンサートの実質とは相関が低いことを経験的に知っているからである。
そして「jazz fessの機会は誰に与えられるべきか」。平凡な答えしかない。ブッキングしたミュージシャンとよい演奏を望むファンに与えられればよいのだ。勿論、興行師は含まれない。「出演する2グループは最高の演奏をする為に作られている」というのが、その理由である。筆者はいま、アリストテレスになった気分である。
久し振りの駄洒落(哲学編)
アルキメデスの健二(在札有名ドラマー)
イースト・プラトン(井上淑彦氏の名曲)
アルケゴール(競歩)
√ (デカルート)
カント・コンデリ
6月02日, 2010年 | yoshida |
最高のフルートは誰に与えられるべきとアリストテレスは考えるだろうかいう哲学的命題が提示された。ハーバード大でのMサンデル教授での講義での事だ。
最高のフルート奏者にと学生が答えた。ハービーマンにとは答えなかった。正解だ。なぜかと問われた。
「最高の演奏がなされ、その音楽を聴いてみな幸福感を得る事が出来るから」僕もこう答えると思うが,アリストテレスの答えは違うと言う。
「フルートは最高の演奏をされる為に作られているから」いうのが答えで目的分配論と言う考え方だ。学生の意見はここから導き出される功利主義的な見解だと言う。
日曜日の夕方,テレビをつけていたらCity Jazzの宣伝が頻繁に流れていた。今年は期間も半月ほどになり、予算も僕が初年度関わった時の倍以上になっている。勿論これは市税で運営されている。大手プロモーターの企画が通常の三倍の価格で落札され、ミュージシャンに値札が貼られ、ある晴れた昼下り,市場に送られて行く。ドナ、ドナ、ドナ・・・ドナリーだ。
「jazz fesの機会は誰に与えられるべきか」という問にアリストテレスはどう答えるか・・・これが僕の設問だ
city jazzの実行委員に加わっていた年。ジャズフアンは週何回ライブに行くかという話になった。熱心な人でも二回行く人は稀だ。これだけでは二万人が動員目標には程遠い。熱心なジャズフアンだけでは満席にならない。こういう機会にjazzを聴いてみようという人もいるだろうし,この規模になれば地方から観光がてらに訪れる人いるだろう。ラインナップを見ると僕の知っているミュージシャンもいるが聴いた事も無いメンバーもいっぱいいる。ああ・・こういう人が売れているんだあーと思った。
なぜこういうフェスティバルが成立するのであろうか。
提供者は人々をjazzの持っている「大人の音楽」と言う幻想に寄りかからせ、あるいは逆に子供たちに毒気を抜いて砂糖をまぶしたものをjazzの全体像として提示していく。賢い消費者は自由主義経済の中で「選択の自由」を持っているというMフリードマンの理論を実践させる。
スポンサーという音楽そのものではなく、そこから派生する何らかの経済効果を期待して強制力が売券にまで及ぶABシュムクラーはその著書「選択という幻想」のなかでフリードマンを批評しつつ,市場システムによって意識の枠がはめられ世界観,人生観が市場のシステムの狭い視野に一層似てきていると指摘する。
手品で客が引いたカードを当てるというものを見た事があるでしょう。本人は自分で選んでいると思っているが,マジシャンの意図したものを選ばされているというものだ。
これは僕も宴会で披露して、奇跡的に成功した事がある。一枚のカードを覚えておき、シャフルする時そのカードの位置だけ記憶しひらく時,そのカードだけちょっとだけ前にしておく。そしてそのカードを無理やり引かせるフォーシングと言う技術だ。このときカードを引く人間を自分の息のかかった素直な性格の人間を選んでおくと成功率も高くなる。
繰り返し放映されるコマーシャルによって選択する「賢い消費者」という幻想・・・・
今年盤渓jazz festivalは開催しないつもりであった。ところがあるスポンサーから依頼があって急遽企画を考えた。当初8/7土曜全日でということであったが、その後8/8日曜,先方の企画の枠内で2グループということになってミュージシャンを押さえた。ところが土壇場になってキャンセルされた。何の保証も無い。怒り国家神道だが、こちらのスケジュールに合わせてくれたミュージシャンの誠意に応えるべく、会場を屋内に移し、2グループだけでは有るが盤渓jazz fes特別編という事で8/8に強行する事にした。
田中朋子スペシャルクインテット。田中朋子,米木康志,臼庭潤,津村和彦、セシル・モンロー
板谷大ノネットwith池田篤
「jazz fesの機会は誰に与えられるべきか」
この設問への答えの一例が上記の2グループだ。
アリストテレスは賛成してくれるだろうか。
本日の駄洒落
哲学シリーズ
アリストテレサ・テン
レヴィ=ストローズ・ロード
去るトルは追わず
大阪のjazz barにて
「おっちゃん、煙草つけっぱなしになってるでー」
「さよでっかー、灰デッカー」
モンデ乳 (モンテニューと読む。乳、揉んでではない)
ルイ・ベルクソン(カントとジョー・ジョーンズを批判した)
ホッブス、ステップス、少年ジャンプ
おらん、バルト(把留都、けがで休場)
5月31日, 2010年 | yoshida |
先日初めてのお客さんがライブに来てくれた。
富良野からわざわざ、それもブログを見てきてくれたらしいlazyのHPに不時着し、僕の日記の泥沼に足をとられたとのことだ。面白かったとお褒めをいただき、過去の分まで全部読んでくれたという。そして店まで足を運んでくれた。
この出会いの確率は石を投げたら日大生にあたる確立よりも低く、石を投げていた日大生の割合よりも高い。
この話が良くわかる同世代の方だ。
自作の駄洒落のメールも頂いたが、これは最後に紹介したい。
話は確率の問題だ
ロッキード事件の年の事で、ピーナツが何億円もする事を知った年、僕の最初の勤務地は、そのピーナツの産地千葉であった。千葉市にはススキノの規模を小さくした栄町という歓楽街があって硬軟取り混ぜた飲食店、風俗店がひしめき合っていた。僕の上司はよく飲みに連れて行ってくれたのだが、最初は居酒屋で一杯、河岸を替えてスナックで呑みなおしというタイプではなかった。一軒目からキャバレーで閉店までそこで呑むというあまりいない人種だった。店の名前は「月世界」。正統派キャバレーであった。正統派と言うのはM・ローチ&C・ブラウンクインテットのjazzのようなもので、変な仕掛け、色物は無いと言う事である。
正面にバンドスタンドがあって9ピースのバンドが演奏していた。中央にはダンスフロアーがあってその周りを囲むようにボックス席が並んでいる。
僕が始めて連れて行ってもらった時についてくれたホステスさんは「ランさん」と言う伊藤蘭と欧陽菲菲たして二で割ったような女性で縦縞のワンピースをOLでは真似できない着こなしで身につけていた。そのフロントには15センチほどのスリットが入っていて、足を組替えるとドキッとする瞬間が何度もあった。
上司は僕を札幌からきた新入社員と彼女に紹介してくれたが、僕は何を話していいのかわからず、ビートきよしのよう二人の話にただ頷くだけであった。何せ卒業したてでフリードマンの貨幣理論を説明できる記憶力は残っているが、粋な話など出来る経験など無く、かといってコルトレーンの演奏方法について語るほど阿保でもなかった。
見るもの聞くものが初めての御のぼりさん状態であったが、楽しかった。ボーイさん呼ぶ時にはライターを灯して手を振り、こまいも皮は自分で剥くものではなく、皮も炙って食べさせてくれる。膝と膝が触れる程度の距離ですわり、でも辛うじて体温を感じさせてくれる微妙さ・・・・。閉店時には「そっとおやすみ」か「メリージエーン」が流れ店内は暗転する。最後に踊りましょうかと誘ってくれる。チークダンスを踊る時のしなだれ方がプロだ。M・ローチのプッシュの仕方と一緒で寸分のくるいも無い。
僕は上司が休みのとき一人で行ってランさんを指名した。何か間男を演じているようで妙に緊張したのを覚えている。多分五歳とは離れていないはずなのに、完全に大人の女性だった。僕のことも一人前の大人として扱ってくれた。こういう店の宿命だが、ずっと僕の相手をしてくれるわけではない。他の席からも指名がかかる。そういう場合はヘルプの子が相手をしてくれる。らんさんは「私が知っている子を紹介しますね」といって席を立った。「失礼します」といって隣に座った子は「らんさん」と同じ年ぐらいの花柄のジョーゼットのワンピースを着た素人っぽい子であった。まあ、初対面だと「どちらから・・」という話になる。僕は「札幌から来ました」と答えると、その子は「私、留萌出身なの」と言う。同じ北海道と言う事で、将来の開発局のありかたについて意見を交換したのだと思う。そうこうしているうちに「ランさん」が戻ってきてヘルプの子は他の席に移った。「どうでしたか。話は合いましたか」と聞かれたので、同郷のよしみで盛り上がりましたと報告した。「それは良かったですね」と言ってくれた。
彼女は売れっ子なのだろう・・・、また指名がかかり、先程とは違う子が席についた。同じ質問をされたが、こういう席では名刺交換と同じなので面倒がらずに「今年の春に札幌から来ました」と言うと「ええ・・私は夕張なの」との答えが帰ってきた。いまなら夕張再生の事業仕分けの話で盛り上がれるのに、その時は石炭歴史村の話で繋いでいった。
それにしても一日のうち、千葉のキャバレーで二人者もの北海道出身の女性と出会う確率はどれぐらいなのであろうか。
ライブで密かに願っていたBorn to be blueとBorn to be wildがメドレーで演奏されるようなもので殆どありえない。実際Born to正月は一緒にはやってこない。
その後も、時々一人でも行っていたが、なんとなくこういう場でのルールが判ってきて「ランさん」を指名することは止めた。ヘルプでついたくれた「留萌さん」を指名するようになっていた。ある時彼女から店がはねた後呑みに行かないかと誘われた。所謂アフターというやつだ。Be-Bopだってアフターセッションから生まれた。大事な話はアフターで決まる。僕の鼓動はチェロキーを叩く時のローチのテンポまで高まった。馴染みの店など有るはずは無い。上司に連れて行ってもらった鮨屋に行った。幸い上司はいなかった。好スタートだ。「留萌さん」は一口ビールを口にしてから、間を計るようにグラスのルージュをハンカチで落とすと口を開いた。その時歴史が動くはずであった・・・・。
「ごめんなさい、私嘘を言っていたの・・・、留萌出身ではないの。ランさんから同郷と言う事にしておいた方がいいわよと言われたの・・・」
僕は速球一本に的を絞っていたので予想だにしなかったチェンジアップがきてあえなく見逃しの三振を喫したが甲子園球児のようにすがすがしい気分であった。プロはやはり違うな・・とも実戦は役に立つとも思った。たぶん「夕張さん」も違うのだろう。
千葉市から住んでいた市原市まで産業道路と呼ばれていた国道の沿道には重化学工業の工場が林立していて、その会社の社宅やら寮が市原には多く見られた。たぶん全国から日本経済を支える為に集まってきた企業戦士たちが故郷を思い出すつかの間を「留萌さん」や「夕張さん」や「博多さん」などに面倒を見てもらっているのであろう。
確率が変だと思う時には裏がある。
裏が無いのはウエストコーストjazzのビート感。
浦賀なくてはペリーが困る。
本日の駄洒落
北の国からの投稿・・・・富良野在住O島さん作品集
副題・・・冷蔵庫を開けてみると
エノッキ・ドルフィー
ホウレンソウ・シルバー
セロリアス・モンク
ニラ・ジョーンズ
ハーピー・マン
キャベツボール・アダレィ
主宰からの返歌
納豆、食ったのは、誰?
5月17日, 2010年 | yoshida |
母の日だった。
鉢植えの花を買って実家に行った。
真っ赤な花びらに白いめしべがサーベルのように突起したアマゾンの熱帯雨林に棲息していそうな余り見かけない品種だった。母親は園芸が趣味で花には詳しい。勿論一輪のカーネーションでも喜んでくれるだが、ついつい受けを狙って変わったものを買ってしまうのはレコードコレクター時代の悪い癖だ。母親だってソニー・ロリンズが好きなのに無理やりサム・テイラーのレア物のギリギリjazzのようなレコードを聴かされていると思ったかもしれないが
「へエー、珍しい花だねえ・・・・」と喜んでくれた。
「なんと言う名前」
まずい。花屋を出る時には覚えていたのだが、世間話をしているうちに忘れてしまった。花の名はニゥムで終わるものが多い。この花も確かそうだった。それにアで始まる事は覚えている。嘘も方便。
「確かアンソポロジゥムだと思ったけれど、今度来る時まで調べておくから・・・」とお茶を濁した。
「アンソポロジゥムねえー・・」「パーカーの曲に似ているんだねー」とは言われなかった。
前日常連のN名が大きな荷物を持ってlazyに来た。「何か買ってもらったの」と聞くと「明日母の日だから・・・」良かった聞いて。ちょっと前までは覚えていたのに・・・危ない危ない。
実際、実家に行くと何か祝ってもらいたかったのだろう・・・自分で寿司の出前を頼んでいた。テレビをつけるとお笑い番組で芸能人親子替え歌コーナー「母の日特集」なんてやっている。手ぶらで行ったら、かなり肩身の狭い思いをしただろう。
取り合えずN名とパーカーに感謝!
本日の駄洒落
母の日特集
「お米さん婆 」(母の名前は米子と言う)
「三度、奄美 」 二度、上空を通った事があるが、まだ降り立った事はない。
「リイン・カーネーション・オブ・ラブ・バード」ミンガスがパーカーに捧げた曲
「コブクロサンよ、コブクロサン、空をみあげりゃ、空にある」
5月10日, 2010年 | yoshida |